〔葉桜と結びと雪の果て〕 ※サンプル
やっと終わった頃には、すっかり日は暮れていた。まだ作業はあるが、ひとまずはここまで終わっていれば大丈夫だろう。
各々帰り支度をしながら、まとめた資料を回収する。そして最後に生徒会室の鍵を返却しながら、顧問へと資料を手渡す。これが生徒会長の役目でもあった。
次々と人がいなくなり、最後には希と二人きりになる。これもまたいつもの流れで、共に下校する。
「なぁ、昨日、細雪が降ったの知ってる?」
「外にいたから驚いた…まさかこんな時期に降るなんてね」
「ちゃんと願い事したんか?」
「なんのこと…?」
できるならば、昨日の出来事は思い出したくない。自分の惨めさが身に染みて、痛む。
「春の雪は、すぐに解けてなくなってしまうやろ。それは早く想いを天に持ち返って、願い事を叶えるためって言われてるんや。だからそんなたいそうな雪は、毎年降らないんやで」
「知らなかった…そんな話があるなんて」
珍しい現象のせいなのか様々な呼び名があることは知っていた。しかしそんな話は耳にしたことなかった。様々な土地で暮らした希だから知っているのかもしれない。
「それで、希は何を願ったの?」
「願い事は口にしたら叶わないんや」
顔を右に傾け、人差し指を口元に立てながら微笑んでいる。そのしぐさの可愛さに希のずるさを感じる。
あぁ、これ以上踏み込めない。
知りたい反面、知らない方がいいことがあることも知っている。気になりはするが、それ以上の詮索は止めた。
「さぁ、帰ろうか」
鞄と資料を手に取ると扉の方へと歩き出した。私につられるように希も後に続く。明日も変わらず来るのだろうと。
四月に入り、生徒会の活動に忙しさが増した。
そうは言っても一般の生徒は春休みで、部活動以外の人影は見当たらない。静けさの中に僅かなにぎやかさがあるだけだった。
ふと手を休めて満開の桜を眺めていた。ぼんやりと散る花びらを視線で追いながら、既視感を覚える。
毎年眺めている桜だからではなく、他に何かありそうだった。
それが何か思い出せない。
ただ儚げで繊細でつかめそうでつかめない抽象的なものだった気がする。
桜は狂気的で美しく、周囲を華やかにさせる。
しかし私はその狂気的な美しさがどこか苦手だった。
言葉を交わしたように一斉に咲き乱れ、一瞬にして散っていく。普段は青葉を付けて存在感を消しているのにこのときのために耐えて忍んでいるのだ。
その不可思議で誰しも綺麗と感じさせてしまう力に惑わされそうになる。
春の到来を待ちわびていたように街が桜一色に染まる。それは桜の木そのものだけでなく、そこかしこに溢れている。
店頭のディスプレイ、お菓子、花見とすぐに思い付くだけでこれだけある。
この魅惑的で狂気的な桜は、儚さを共に運んできて、余計に苦手だった。
「何、見てるん?」
「あぁ、桜が綺麗だなって」
「まるで春の雪みたいやな」
「え?」
「舞い散る花びらがなんとなく似ている気がする。まぁ、桜の花びらは無くならんけど」
そう言いながら希はおかしそうに笑っている。
結われた私の髪で遊びながら、一緒に桜を眺めている。
あぁ、あのときに似ているのか。
確か春の雪は願いが叶うと言っていた。本物にないにしろ、何かしらの効果はあるかもしれない。僅かに重くなった心を軽くしたくて、想いをぶつける。
どうかこの学校が廃校から逃れられますように。
今年の入学志願者が多く集まりますように。
そう願いながら散りゆく桜を眺めていた。
「…何か願い事しているんやろ?」
「ち、違うわよ!」
思わず照れ隠しをしてしまう。希とは言え、心の中を見透かされてしまうのは、むずがゆい。
「ところでいつまで髪で遊んでるつもり?」
話題を変えるべく、口にした。日常的なことで特別な行為ではない。
希の方へと顔を向けると視界がふさがった。
唇に体温を感じ、希の顔は触れるほど近くにあった。軽く触れて離れたかと思うとまた唇で体温が重ねり合う。
啄ばまれ、唇が形を変える。何度も何度もそれは続き、生活音以外の音が響き渡る。
「んっ」
吐息交じりの声がもれる。
頬が赤らみを自覚できるほど行為に没頭していた。
「んんっ」
また声がもれる。
合間に浅い呼吸を繰り返し、瞳に吸い込まれていく。
ここが学校だと言うことが羞恥心に火を点けていく。
やめなければと思う反面、まだ続けたいという欲望が離れることを拒絶していた。
夢中になっていく。これ以上続ければ誰かに目撃されてしまうかもしれない。それでも続けてしまうのは、私は希に心を許しているからである。
愛おしさの先にある真っ新で純粋な感情が反応しているのだ。
「だめ…誰かに見られちゃう」
「大丈夫や…誰も来ない」
*
始業式で廃校が公表された。そこには、“来年度の入学志願者が定員を上回った場合は除く”と付け加えられた。
今すぐにではない。しかし条件付きの廃校は、安堵すらあったものの、極めて難しい問題を突き付けていた。
何も特徴がない至って平凡な音ノ木坂学院には、百名に満たない定員数すら難しい。それは学年が下がるほどクラス数が減少していくことが証明していた。
何か新しいことを始めなければ、この学校の認知度を上げなければ叶わない。
この一年弱でどうにか変えられるだろうか。
いや、せっかく生徒会長になったのだ。廃校は阻止したい。私の代で廃校にはさせたくない。
騒がしい廊下を歩きつつ、生徒会室へと向かう。掲示板にも貼りだされた廃校の知らせを前に会話している人がいる。
妙にざわついている新年度は、感じたことのない異様な雰囲気が充満していた。
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