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傍らの恋 -サンプル-

 

「おはよう、希」
待ち合わせ場所の駅前広場で挨拶を交わす。
時刻は集合時刻の十分前。
今日は観たい映画がある希に付き合うことになった。
いつものように遅刻ぎりぎりに来る人がいないおかげで、はらはらすることもない。
たわいのない会話をしながら、映画館へ向かう。
「楽しみで昨夜は寝れんくて」
「サイトをチェックしてきたんよ」
嬉しそうな希の表情に自然と私も微笑んでしまう。
学校以外で希に会えるだけで満たされていく。
まだ会って間もないのにそれだけ私は欲しているのかもしれない。
両側で結われた希の長い髪が風に揺れる。
その度に私の心は弄ばれているようだった。
こんなにもすぐそばにいる。
隣りではしゃいでいて、警戒心などまるでない。
誰にも邪魔されないふたりきりの時間。
希にはいつもと同じ休日なのだろうか。想いは募り、くすぶっていく。待ちに待っていたときは、ゆっくりと動き出した。

休日とあってか、映画館は混んでいた。
座席が取れるか心配していたが、想像よりも良い座席を取れた。
上映時間には少し余裕があり、売店へと向かった。
長い列に並びながら、メニューを眺める。
「キャラメルポップコーンにしようかな」
「えっ…やっぱり、ポップコーンは塩やないんか」
「それも良いけど…甘い気分かな」
私はキャラメルポップコーンと紅茶を注文すると希が残念そうに見ていた。
てっきり希は塩味を頼むと思っていた。
しかし注文したのはカレー味で、一人で笑ってしまう。
「もう、塩じゃないじゃない」
「そうや、カレーの気分やったんや。えりちと一緒や」
二人で顔を見合わせ、笑い合う。
希の屈託ない笑顔に私は癒される。
大好き。
なんとも言えない感情が湧き上がってくる。
充実していて、楽しい。
このときが永遠に続けば良いと思った。
座席に着くとほどなくして予告編が映し出された。
大型スクリーンの光があるとは言え、シアターは暗闇に近い。
ただ人がいる気配と物音だけが、私を一人ではないと感じさせた。
夜が苦手な私には、この瞬間だけはどうにも慣れない。
映画が始まるまでの十分弱。
背中に冷汗を感じ、本編を待つ。
早く始まって欲しい。
そうすれば本編に集中して、この不快感から逃れられる。
そう願いつつも時間の進みは、ゆっくりと感じられた。
少しでも紛らわせようと紅茶に手を伸ばす。
乾いていたのどに潤いが戻る。
しかし不快感は消え去ることはない。
せっかく希と二人きりなのに。
隣に目をやると希はスクリーンを凝視していて、こちらの視線に気付くことはない。
もう少しで本編が始まる。
もう少しだけだから。
呪文のように言い聞かせる。
早く。早く始まって。
そう思ったとき、私の左手に温もりが重なる。
じんわりとして優しさに溢れているような柔らかな手。
それは一瞬にして不快感を拭い去った。
大丈夫やから、安心して。
そう言われている気がして、温もりの先に視線をやる。
そこには先ほどと同じ、スクリーンを凝視している希がいた。
むずがゆい感情が全身を包む。
それは愛おしさに満ちていて、壊したい衝動に駆り立たせる。
もしかしたら気付いていたのかもしれない。
何度か一緒に来ている映画で、この時間が苦手なことを。
もとより暗闇が苦手なことは知っている。
それをネタにからかわれることあった。
しかしこのなんでもない思いやりは、さらに希へと夢中にさせていくのだ。
言葉なんていらない。
視線を合わせなくても伝わってくる愛情。
スクリーンの光は、希の顔を照らす。
いつもとなんら変わらない自然な表情は、僅かに残っていた不快感を拭い去った。
映し出されている映像は、見慣れたものへと変わっていく。
もうじき、本編が始まる。
本編が始まってしまったら、希は手を離してしまうだろうか。
ずっとこのままでいたい。
願わくは、映画が終わらないように。
この温もりを焼き付けるように強く握り返した。

映画が終わると一気に音が戻った。
一斉に語り出し、静かだった物音も忘れていたように吹き返す。
一瞬にしてなった暗闇は、一瞬にして明るさを取り戻した。
「この映画、おもしろかったな」
「うん、そうね」
嬉々として目を輝かせている希を見るとちょっとした罪悪感にさいなまれた。
正直なところ、私は内容を把握できていない。
もちろん寝ていなければ、スクリーンを見ていないわけでもない。断片的にシーンは覚えているものの、どうしてそうなったのか理解できていないのだ。
左手に重ねられた温もりは、私の集中力を奪うには充分だった。
シアターが暗くて本当によかった。
そうでなければ、終始にやけていたであろう私の顔を見られていたかもしれない。
物語を把握できないのは、希のせいでもあるのよ。
脳内で反響させながら、言葉には出さない。
それは私の想いがばれてはいけないからだ。
そしてあわよくば、次の機会にも同じ行為をしてもらえればという下心もあった。
「もうえりち、聞いてるん」
怒ったような口調に「ごめん、ごめん」と笑い返す。
ふくれっ面の希もまた可愛くて、想いは募っていく。
想いのかけらは、またひとつ大きくなった。
「流行りのカフェに行きたい」という希に付き合うことにした。
最近、テレビや雑誌に特集されていて、私も興味が湧いていた。
雑誌の特集を思い出しながら、想いをはせる。
何よりも希と行ける。
それは流行りのカフェよりも重要に思えた。


小春日和というに相応しい日だった。
すっかり空気は寒さを忘れ、薄着でも過ごせるような陽気になっていた。
太陽から柔らかな光が届き、授業を受けているのがもったいない。
ふと時計を見るともうじき授業が終わる時間だった。
今日は職員会議のためにいつもよりも時間割が少ない。
しかし生徒会活動がある私は、帰ることはできない。
勿体なさを感じながらも嬉しさもあった。
それは希と一緒にいられるから。
ただそれだけで私は満たされてしまうくらい、希に占領されていた。
恋をしている自覚が生まれたときから、意識してしまう。
それは癖のようなもので、いつか気持ちが悟られてしまうのではないだろうか。
それでも良いと思いつつも内心は複雑だった。
今まで通りの関係ではいられなくなる。
もちろん想いが結ばれて幸せが巡ってくるならば、問題はない。
しかし結果はそれだけではない。
絶妙な今の距離感から遠ざかってしまうこともあり得る。
それだけは避けたいし、それならば今のままで十分だった。
思考を遮るようにチャイムが鳴り響く。
「今日の授業はここまでとなります」
挨拶をすると一気に教室がにぎわい出す。
顧問の教師が指導をできないので、多くの部活は休みだろう。
ホームルームもそこそこに解散となった。私は希に声をかける。
「ちょっと図書館によってから、生徒会室に行くから」
「わかった」とうなずく希をしり目に私は教室を後にした。

思っていたよりも時間がかかってしまった。
図書館で資料探しに没頭し、時計を見ていなかった。
教室を出てから、小一時間ほど経過していた。
希は怒っているだろうか。
私は数冊の本を借りるとそそくさと後にした。
足早に生徒会室に向かう途中、部室に忘れ物をしていたことに気付く。
この際、もう少し遅くなっても変わらないか。
私は部室へと向かうことにした。
するとまた遅くなってしまった。
部室には穂乃果とことりがいて、ついつい話し込んでしまう。
気付いたときには時計の針が、先ほどよりも大分進んでいた。
これは本格的に怒られそうだ。
私は急いで生徒会室に向かった。
ドアの前に立つと物音ひとつしない。
もしかしたら希はいないのだろうか。そっとドアノブに手をかける。
鍵はかかっておらず、人の気配がする。
室内を見渡せば、希の姿があった。
こちらに気付くことなく、机に突っ伏している。
いつもと様子が違うことに戸惑いながら、近付いた。
歩みを進めるたびに規則正しい寝息が聞こえる。
こんなにも無防備な希はかつて見たことない。
木漏れ日が髪に反射して、艶やかな光沢を放っていた。
傍らの資料は、やりかけなのだろうか。
広げたままで、手元にはペンが転がっている。
起こした方が良い。
そう思いながらも稀有なこの状況は、起こしてはいけないようにも感じた。
本音は許されるだけ眺めていたい。
心臓が大きく脈打つ。
生唾を飲む。
希が疲れているに違いない。
そう都合の良い解釈をして、向かい合った椅子に座った。


 

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