pain killer
この世界には抗えないものがある。それは生を受けたときから決まっていて、誰にも非がないことも知っている。
悩んでも解決しないことくらい、分かっているのだ。それでも悶々と気分を塞ぐのは、自分が侵されているからに違いない。
少しでも答えに近付きたくて、指先を動かした。圧倒的な知識量を誇るそれに求めた答えは、”恋愛”。
書かれていた答えは『特定の異性に愛情を感じて恋い慕うこと』。
あぁ、やはりこの熱病は恋愛のせいではないのかもしれない。国語辞典によれば異性に抱くものらしく、同性に感じる愛情は別物らしい。
ではこの感情の答えはなんなのだろうか。誰にも相談できず、日々脳内で繰り返されるだけの問いに答えは出るのだろうか。
いや、もしかしたら答えなどないのかもしれない。恋愛とは不条理なものだと端から知っているからだ。
いつか自分にも王子様が現れると信じていた。そしてこの日々の虚無感から救い出してくれると思っていた。だけどそれは叶わないらしい。
気付けば大学生になっていて、高校と同じく女子しかいない。見渡す限りの同性は、安心感を抱きながらもどこか息苦しかった。
高校時代の友人はみな別の進路を進み、今は一人ぼっち。それではいけないと思い立ってみるもどれも空振りで終わってしまう。内部進学が多いこの大学では、すでにグループができ上がっていた。
「どうして、こんなんなのやろう」
深いため息は、何事もなかったように消えてく。肩の力は抜けたものの、肝心な心の重さまでは解消してはくれない。
いっそのこと、共学の大学にすればよかった。自分の意志で選んだものの、僅かな後悔が浮かぶ。
高校のときに戻りたい。そう思っても巻き戻せる訳でもない。
何となしにスマートフォンを覗くと新着通知が目にとまる。そこには懐かしい名前が表示されている。
友人と言われて真っ先に思い浮かぶ名前。遠くに進学したわけではないが、なかなか会うことが難しくなっていた。
心躍らせながら届いたメッセージを確認すると変わることのない、たわいのない内容だった。
”最近、どう? 時間があれば食事でもしない?”
”ぼちぼちやね。ええよ、いつがいい?”
平然を装いながら返信をした。この現状を悟られたくはない。
高校時代から他人に本心を打ち明けることが苦手だった。友人はいたけれど表面上の付き合いばかりで、休日に友人と遊ぶことはほとんどなかった。
波風立てないで日々が過ぎていけばそれでいい。そういった保守的で目立たない、協調性を重んじる性格になったのには理由がある。
親の転勤で慣れる間もなく様々な土地で暮らしたせいだ。仲良くなってもすぐに別れが来る。そしてすぐに存在は記憶の片隅へと追いやられ、次第に忘れ去られる。
傷付きたくないと思う自己保身は、人との関係を希薄にするには相応の出来事だった。
人に踏み込むことが苦手で、でも踏み込まれたくて。
だけど自分からは本心を見せず、見せかけの笑顔で取り繕っていた。
そんな癖が今でも抜けない。それがいけないと分かってはいてもすぐに打ち壊すことはできない。身体の一部になり果てて、はぎ取りたくてもはぎ取れないのだ。
スマートフォンが震えたことで我に返る。校門へと続く道の真ん中で立ち止まっていた。おかげとあからさまな怪訝な顔をしていく人はいなかったが、目立っていたに違いない。
木陰のベンチへと腰を下ろすと新着通知を確認する。
”今週末だったら開いてるけどどうかな?”
あぁ、変わらない。
今すぐにでも会いたい。
そう思ったが、この状態のまま会ってしまえば泣き出してしまうかもしれない。だからぐっと堪える。
”大丈夫やよ。楽しみにしている”
今週末に絵里ちに会える。
何を着ていこう。
内側から溢れる歓喜にスマートフォンを抱きしめた。
自分は何も変わっていない。そんな恐怖は微塵もなかった。
それからというもの、週末を指折り数えた。流れている時間は同じ長さのはずなのに妙に長く感じる。久しぶりの高揚感に一気に日常は華やかになった。
それはまるで旅行前夜のようだった。日常は何も変わっていないはずなのに味気ない食事も美味しく感じた。
平日をもどかしさで過ごし、やっと金曜日の夜が訪れた。
ついに明日や。どうしよう、楽しみ過ぎて寝付けない。
着ていく服を散々悩んだ挙句、高校時代に買った服に落ち着いた。
絵里ちはどんな服を着てくるのだろう。
明日は何を話そう。
布団に入っても考え続けた。
考え過ぎて一向に睡魔が訪れない。これではだめと音楽をかけてみると流れてきたものはμ'sだった。様々な想い出が蘇り、さらに睡眠から遠ざかる。
せっかく、絵里ちと会えるのに。
そう思いつつも時計は午前3時を指していた。
※
何も変わってはいなかった。ただ一人で悶々として、耐え切れなくなっていただけだった。
ゆっくりと隣に座った絵里ちは、またゆったりと微笑んだ。
「もう私が気付かないと思ったの? 希のことならお見通しよ」
「絵里ちにはかなわんなぁ」
思わずふっと笑いがこぼれた。木々から反射する木漏れ日は、柔らかな温かさを運ぶ。
「実は大学生活が上手くいかんくて」
考えていたことを洗いざらい、吐き出していく。
川の下流に停滞していた淀んだ水が流れ出していくように澄んでいく。
初めから話していればよかったのかもしれない。
絵里ちが羨ましい。
どうしてこんなにも自分は不器用なのか。
性分といえば終わってしまうが、変わりたいと素直に思えた。
諦める癖が早く消えればいいと願った。
「希なら大丈夫よ」
そう言って軽く頭を撫ででくれた。
身体のこわばりが解け、表情も緩む。うつむいていた顔も上がる。
撫でていた手が頬に触れ、火照った顔を冷やしていく。
親指が涙の痕を拭うようになぞる。
自然と絵里ちの方を向くと潤んだ瞳でこちらをのぞく。
視線が合った刹那、―時が止まる。
「ちょっと、絵里ち何してっ…」
「希が可愛くて、つい」
いたずらがばれた子供のようにはにかんだ。
周囲に人がいないが、少し離れた場所には往来している。こんなところ誰かに見られたら、弁明できない。
それでも背筋がぞっとしていてもなお、キスの余韻に浸っていたかった。
こんなこと初めてだった。
誰かからされたこともしたこともない。
絵里ちが愛おしい人ではある。だけどこれが恋愛感情なのか定かではない。
「何かあったら、連絡して。あとたまにこうして会いましょう」
言い終えた直後、頬にキスが落ちてくる。
そして唇にまた軽く触れた。
「もうっ、誰かに見られたらどうする―」
「誰も見てない」
真っ直ぐな瞳で制されるとまた唇を貪り始めた。
その熱は中毒になりそうなほど甘く、堕ちていく。
周囲の視線はもう気にならない。ただただお互いの熱を堪能するだけ。
”至福”とはこういうことなのかもしれない。