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それは、私ののぞみ

ことが終わった後、私は決まってチョコレートを食べる。
それは消費したカロリーを補うためなのか、口寂しさからなのかは分からない。なぜか甘ったるいチョコレートを食べたくなるのだ。
それを知っているので、希の部屋にはチョコレートが常備されている。見事なまでに揃えられた私が好きなチョコレートは、希の愛が伝わってくるようで嬉しい。
おもむろに一粒のチョコレートを口に運ぶ。食べ慣れた味のはずなのに昼間のカフェモカとは違い、雲泥の差のように美味しかった。
もう一粒と手を伸ばすと希の声がする。
「また食べてるんやね」
呆れた様子もなく、おかしそうに笑っていた。
気怠そうに起き上がってきた希は、冷蔵庫から水を取り出した。私の隣に並ぶとキャップを開けて水を飲み始めた。
潤いを取り戻した希は満足そうにこちらに顔を向ける。
私はその清々しい顔にいたずらをしたくなったのかもしれない。
苦いチョコレートを口に含むと希の唇に押し当てる。後頭部に腕を回し、逃がさない。
「…ううんっ」
希は僅かに苦しそうにするもすぐに瞳を閉じて私を受け入れた。舌で口をこじ開けると口の中で溶け出したチョコレートを希に運ぶ。むせそうになりながらも希は受け取り、満足そうに食べていた。
その間、唇を離すことなく、チョコレートと希を楽しんでいた。
苦いはずのチョコレートは姿を消し、官能的な快感だけを残していった。
「せめて甘いチョコがよかったわ」
希は手に持っていた水を流し込みながら言う。どこか微笑みを浮かべている。
「チョコは体温で溶けるって聞くじゃない?」
私は笑って誤魔化した。
「希、私にもちょうだい」
のどに張り付くチョコレートの残り香を水を飲んですっきりさせたかった。
希が飲んでいた水のペットボトルを掴もうとするも空を舞った。
希は私に顔を近付けて来て、そのまま唇を重ねてくる。自然な流れで舌を侵入させ、水を送り込んできた。
あまりの唐突さに私は呆気に取られるも零さないようにすべてを受け入れた。
温められた水は、唾液と相まってかどろっとしていてぬるい。
さっき私がしたことはこういうことだったのかと納得する。
「お返しや」
口角をあげ、希は笑っている。
「もうっ」とふくれっ面になりながらも私もつられるように笑顔になった。
希から飲みかけの水を受け取ると流し込む。
間接キスか。
照れながらも先ほどまでしていた行為を思い出す。それ以上のことをしているはずなのにどこかむず痒くなった。
「なぁ、二人だけで卒業旅行せえへん?」
そういえば、卒業間近だったことを思い出す。
私たちは別々の進路をたどり、地元を離れる。希と一緒にいられる時間はごく僅かだ。
「良いけど…どこに行くつもり?」
希は遠くを見つめながら、哀愁を漂わせている。すると口を開いた。
「海に行きたい」
“海”と聞いてすぐにあの海だと理解した。
μ’sの解散を決意した、あの海。
メンバーで横一列に並び、固く手を結び、絆を確かめ合った。
μ’sはこの九人でなければ意味がないと一時に駆ける青春でありたいと願い、叶えた。
希も想うところがあったのかもしれない。
私だけではなかったと安堵しながらもカウントダウンが始まっていることがつらい。「うん」と頷くと同時に優しく希を抱きしめる。
この時が止まれば永遠に続けば良いのに。
願ってもかなわないことくらい、知らないはずがない。
 
 
朝焼けが眩しい。結局、昨夜は希の部屋に泊まってしまった。帰ろうと思えば帰ることができたのにしなかった。
それは少しでも残りの時間を共有するためなのか、昼間の欲望のせいなのか定かではない。もちろん、動けなくなるほど希との愛を確かめ合った訳でもない。ただなんとなく離れてはいけないような気がして、泊まってしまったのだ。
希は私に甘い。そして私も希に甘く、お互いが唯一甘えられる存在なのだと知っていることもあるだろう。
たまに私が泊まるおかげで、私の備品が増えた。歯ブラシは二本刺さっているし、マグカップも色違いで二つ。洋服と下着はいつどうなっても良いように揃えられていた。この半同棲のような生活ももうじき終わりが来ると思うと胸が苦しい。
自宅に帰りたくないときはここに来たし、そのまま登校をしたこともある。
別れを告げなくてはならないのだと感覚的に思った。
隣で気持ちよさそうに寝息を立てている希を起こさぬようベッドから降りた。
淹れたてのコーヒーを片手にベランダへと出る。
夕焼けとは違う橙の空は静けさに満ちていた。活動を始める前の街並みは無機質で、しかしこれから始まるのだという活気を予感させている。自分もその歯車に紛れるのだと思うと滑稽にも思えた。
「こんなところにいたんやね」
ベランダの引き戸が音を立て、背後に温もりを感じる。
「ごめん、起こしちゃった?」
私は希の方を振り返ると横に首を振った。結われていない希の髪は、風で舞い上がる。
稀に見る光景は、希がどこか遠くへ行ってしまうのではないと思わせ、私は反射的に手を伸ばす。
屈託ない顔で見ながら、私を両手で包み込んだ。
まだ朝日が昇って間もない風を浴びて冷え切った身体は、一瞬にして熱を取り戻す。
希なしの生活は考えられない。
一体、いつから私はこうなってしまったのだろう。

 


〔本文より抜粋〕

 

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