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泡沫のアイスキャンディ -サンプル-

夏休み真っ最中、えりちと二人きりで生徒会業務をこなしていた。急ぎの仕事もなく、ただゆったりとした時間が流れていく。
昼下がりの生徒会室は、どうにも眠くなる。時折襲う眠気を堪えながら、資料をまとめていた。
もう耐えられかもしれん。
「休憩しよう」と提案しようとしたとき、えりちが立ち上がった。
「ねぇ、購買にいかない?」
冷房が効いているはずの生徒会室は、ぬるく暑苦しい。ウチは二つ返事をして、手を止めた。
廊下はさらに暑かった。あれでも冷房が効いていたのだと実感をする。溢れ出す汗を抑えながら、購買へと向かう。
夏休み真っ只中というだけあり、人影はまばらだ。部活動や補講で訪れている人がほとんどで話し声も聞こえない。まるで二人だけが切り取られ、隔離されているようだった。
「何にしようかな」
アイスケースを覗き込みながら、えりちは物色していた。はなからそれが目的だったらしい。
通い詰めた購買にあるものは、この三年間で把握していた。季節が変わっても入れ替わることはほとんどない。あるとするならば、温かい飲み物が増えることくらいだろうか。
「よし、これに決めた!」
コンビニよりもはるかに少ない品数の中で、何と迷っていたのだろう。大概、選ぶものは決まっている。当然、その中の一つを選ぶと思っていた。しかし手の中にあったのは、珍しくアイスキャンディだった。
「どうしたん、珍しいな」
「たまには違うものも選んでみようと思って」
保守的なえりちは、いくつかの候補の中で毎回、同じようなものを選んでいる。
「今日は雨でも降るんかな」
そう茶化しつつ、アイスを選ぶ。
えりちに感化されたのかもしれない。あまり選ぶことのないアイスクリームを手に取った。バニラアイスバーにチョコレートコーティングされたそれは、暑さを緩和させるどころか、甘さでどうにかなってしまいそうなものだった。
明らかに清涼感は欠けていた。しかしそれはえりちが好んで食べているもので、自らは選ぶことはない。
なんとなく、別のものを選んでしまう。先にえりちが手に取るから、自然と手に取ることは少なくなっていた。
これが身に付いてしまった性なのだろうか。
会計を済ませると中庭の木陰にあるベンチに腰かけた。
夏を思わせるどこまでも爽快な青空は、アイスキャンディと同じ色をしていた。深めにベンチへと身体を沈ませるとよりいっそう、清々しい青を対比させていた。
これが空色か。
目の当たりにしたその光景は、初めてではないはずなのに稀なものに感じた。
青を知った瞬間だった。アイスキャンディの薄い青とコントラストの強い快晴は、同じ色だと知った。
見惚れてしまうほど魅せられていた。
これはえりちが持っているからだろうか。
その稀さが起こした感覚なのだろうか。
アイスクリームバーが溶けるのを忘れ、ただただ眺めていた。
「どうしたの、そんなに珍しい?」
訝し気にえりちが視線を落とす。すでにむき出しにされたアイスキャンディもまた暑さに耐え切れそうにない。
一口も食べられていないそれは、少しずつ溶けていく。
表面が汗をかき始め、流れ出す。そして木の棒を伝い、指を濡らす。
形の良い細くてしなやかな指に甘い蜜が垂れる。訝し気な視線を向けたえりちは、気付くことはない。僅かに深く腰かけているウチだから、気付けること。
花に誘われた蝶のように甘い蜜に近寄る。
そして、口にする。
先端ではなく、最も甘そうな根元を。
その先にはただ甘い蜜に濡れた指先。
あぁ、もったいない。
垂れそうな蜜をすかさず受け止め、落ちた指先へと下りていく。
空に向かって伸ばされた親指に誘われ、舌先で舐める。
甘噛みするように口にすると存在感が薄れていたものが動き出す。
「もう、これ、私のアイスなんだから!」
僅かに口調が荒いのは、指先を舐めたからだろうか。
それに触れない辺り、えりちも何か感じたのかもしれない。
「溶けそうでつい…」
「誘われたから」とは言えなかった。同時に言葉にしてはいけないような気がした。それになぜ誘われたように感じたのか説明が付かなかった。
ここに広がるものは、空色と甘い蜜の香り。
夏独特な草木の匂い、ささやかでぬるい風。
そして太陽を遮る木陰とえりち。
そのすべてがウチを狂わしたのだ。
そう結論を出したとき、自分のアイスクリームバーの存在を思い出す。まだ封が開けられていないそれは、大惨事にはなっていない。
慎重に取り出すと案の定、溶け出していて袋にチョコレートが張り付いていた、
「もうもったいないじゃない!」
普段好んで食べるえりちの叱責は、さきほどの余韻が残っていた。苦笑いを浮かべながら、一口かじる。
「やっぱり、ウチはそっちがええな」
アイスキャンディに視線を移す。
「しょうがないなぁ、食べかけだけど」
差し出されたアイスキャンディを受け取るとアイスクリームバーを手渡す。
「ありがとうな」
いつもこうだった。どちらからともなく、提案する。
だから同じものは滅多なことがない限り、買うことがない。食べかけでも気にならないのは、えりちだからだろう。
かじられているアイスキャンディを食べてみる。
数秒前に感じた甘い蜜の味は、食べ慣れたアイスキャンディの味になっていた。

       *

卒業後、えりちに会えたのは残暑が厳しい時期だった。夏休みに入ってもなかなか予定が合わず、結局終わり頃になってしまった。
会えない間も想いは募り、チョコレートの包装はそのまま残してある。それほどあのチョコレートに囚われているのかもしれない。
「希、久しぶり!」
遠くからえりちが走ってくる。電車の遅延で約束の時刻は、僅かに過ぎていた。
「元気にしてたんか」
思わず上がるテンションからか、自らもえりちに近付いた。
卒業してからたった数ヶ月のはずなのに別人のように綺麗になっていた。
相変わらず軸が真っ直ぐに通った背筋に光を反射させる金髪。
少しだけ化粧をしているのだろうか。
マスカラがのったまつ毛に薄いピンクの口紅とチーク。
大学生らしい、キャンパスライフを満喫していることがそれだけで分かる。
えりちが目立たないはずはないのだ。
持って生まれたリーダーシップとµ'sの活動は、人を惹きつける魅力が詰まっている。この日本人離れした容姿も相まって、高校時代も人気が高かった。生き生きとした表情がなによりもその証拠だ。
「卒業するとこんなにも会えないなんて思ってもいなかった」
「あの頃は、会わない日はないほど一緒にいたのにな」
「不思議よね、本当。希に会えると思ったら、わくわくが止まらなかったわ」
「それはウチも一緒や!指折り数えてしもうたよ」
たった数時間の間に今まで会えなかった時間を埋め合わせるように話し続けた。
買い物をしながら、当時のように笑い合う。これだけで心が満たされていくような気がした。変わっていない趣味は、「やっぱりえりちやな」と安心する。
二人の時間を思い切り楽しんだ。まだ分かれる時間でもないのにそれを思うだけで、切なくなる。
数分でも数秒でもいいから、一緒にいさせて。
えりちのいない時間軸に戻りたくない。
まるでだだをこねる子供のように内心で願った。
やだやだ、嫌だ。
今の生活環境にどこも不満はないはずだった。
だけどやっぱり、えりちが足りない。
会ってしまうとわかるそれは、存在の大きさと共に自身の未熟さを感じさせた。
今ならチョコレートのことが聞ける。そう思っても今のままの距離感が愛おしくて、壊すことができない。
毎日のように会うことがなくなった今、崩れる方が簡単だった。
楽しい時間の終わりが近付いたとき、ウチはあることに気付いた。

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